Weather Learning Diary

日常的な気象予測や天気図理解ができるようになりたい気象勉強初心者のブログ

気象データに刻まれる災害の歴史

 

2024年も3月に入りました。一般的な3月の天気の特徴として,上旬は日本海低気圧が発達して南よりの強い風が吹き,下旬になると移動性高気圧の影響で高気圧と低気圧が交互に通過し天気が変わりやすくなるといいます。少しずつ春の兆しも見え始めました。新生活に向けてあわただしく準備されている方も多いかと思います。

 

さて,本日は3月11 日ということで,東日本大震災が発生してから13年が経ちます。私も地震発生当時,緊急停止した電車内に2時間ほど閉じ込められて,線路上を歩いて最寄りの駅まで避難したことを覚えています。結局その駅から徒歩で自宅へと向かい,途中同じ方向に向かう同じ境遇の方と出会って励まし合いながら,だいたい3時間ほどかけて帰宅したことを思い出します。

今でもYouTubeなどで災害の映像を見ることもできますが,時間が経過するとどうしても記憶が薄れていくのは仕方がないことかもしれません。

 

そんな中,今回は,気象データの中から災害の記憶を見つけていきたいと思います。

 

東日本大震災の記憶

東日本大震災とは,2011年3月11日14時46分に発生した東北地方太平洋沖地震とそれに伴う余震や福島第一原子力発電所事故などを含む一連の大災害のことを指します。この震災による死者数は2024年3月1日時点で全国で1万5900人,行方不明者は2520人となっているそうです。

そして,この災害で犠牲になった方々の死因の多くは地震に伴う津波によるものと報告されています。

 

過去の気象データを見ていると,その津波が押し寄せてきたと考えられる形跡が残っていることに気がつきます。

例えば,下は岩手県大船渡市の震災発生日の気象データの一部ですが(気象庁|過去の気象データ検索 (jma.go.jp)より引用),15時30分以降のデータがすべて「✕」となっていることが分かりますね。

この✕印は気象測器の故障等によって観測値が得られない場合であったり,明らかに間違いであると考えられる場合に付与されるようです。このことから,大船渡市の観測所では,15時20分から15時30分の間に津波が襲ってきたものと推測できます。

事実,大船渡市にある「茶々丸パーク時計塔」というモニュメントには,津波の襲ってきた15時25分で止まった時計が設置されているそうです(Google Earthより画像取得)。

 

他にも,福島県浪江町の気象データは以下のようになっています。

こちらの観測所では,16時以降のデータがすべて欠測値となっていることが分かります。よってこのデータから,浪江町に大きな津波が到達した時刻は16時頃であることが読み取れるのです。

浪江町の隣には福島県第一原子力発電所があり,翌日の3月12日に原子炉建屋で水素爆発が起こり原発事故が発生したことが明らかになります。その後,浪江町の居住者は避難指示により一時は0人になったようですが,現在は一部の地域で避難指示が解除されたことで2000名程度の方が住んでいるとのことです。

この13年間で復興も進んでは来ましたが,かつての日常を取り戻せるまでにはまだまだ歩みは道半ばな印象は受けますね。この大震災を教訓として身近なところで私たちにできることは,震災の記憶を風化させず,防災意識を高めて各自が災害に備えることだと思います。

 

関東大震災の記憶

東日本大震災からさかのぼること約90年前に起こった関東大震災ではどうでしょうか。気象庁の過去の気象データベースでは,東京の場合だと1872年から情報が公開されています(気象庁|過去の気象データ検索 (jma.go.jp)より引用)。ここまで年代をさかのぼれるとは驚きですね。

 

関東大震災が起こったのは1923年9月1日の11時58分。ちょうど正午ごろに発生し,昼食の準備のために火を使っていた家庭も多く,火災の広がる一因となりました。また,近くに台風が存在し強い風が吹いていたことも火災を大きく広げたといいます。下は気象庁の「関東大震災から100年」の特設サイト(気象庁|「関東大震災から100年」特設サイト (jma.go.jp))で閲覧できる関東大震災が起こった日の天気図です。

午前6時には北陸あたりに台風があり,午後6時に三陸沖に抜けていったのが分かりますね。

 

1923年9月の東京の気象データを見てみると,震災が発生した9月1日と2日は記録がありませんね。災害によって正確な値が取得できなかったため欠測値になっているようです。

 

しかし,次世代デジタルライブラリーというデータベース上の気象月報(中央氣象臺月報 : 全國氣象表 - 次世代デジタルライブラリー (ndl.go.jp)より引用)では観測された値がちゃんと記録されていました。

歴史を感じるのが,1923年ということもあって台湾が日本の中の一地域として扱われていることですね。臺北,臺中,臺南などの台湾の主要都市が記載されています。他にも当時の日本が統治していた韓国やパラオなどの都市も含まれています。

この気象月報データから関東大震災が発生した時刻前後の東京市の気温を見てみると,2日の午前1時から3時頃にかけて気温が40度を超えているのが分かります。午前1時の観測では45.2度を観測していました。

これまでの日本の観測史上最高気温は41.1度(2018年に観測された熊谷市の気温と2020年に観測された浜松市の気温が1位タイ記録)*1ですが,それをはるかに超える東京の気温「46.4度」がこの日に記録されていたようです。当然ながら,この気温は気象現象によるものではなく,東京の火災によって町に熱がこもった結果であることは容易に想像ができますので公式な値とは認められていませんが,非公式ながら日本で観測された史上最高気温であることは事実なのです。

公式記録から消されてしまうことで、私たちの記憶に残らないものになってしまうのは少し残念な気もしますね。このようなことがあったという事実は,もう少し世の中に知られても良いんじゃないかと思いますし,伝えていかなければいけないことだと感じます。

 

 

以上のように,過去の気象データから災害の歴史を読み解くこともできそうです。これまでに蓄積された膨大な気象データが現在どこまで広く活用されているかは知りませんが,気象や人流などのデータをうまく活用できれば,より良い社会づくりに大きく貢献するのではないかと最近考えるようになっています。

 

参考図書・参考URL

下記のサイトから画像などを一部お借りいたしました。

*1:2024年3月時点