Weather Learning Diary

日常的な気象予測や天気図理解ができるようになりたい気象勉強初心者のブログ

【気象学勉強】第80回 天気予報の歴史

 

今回は歴史を勉強します。天気予報ってどのくらいの歴史があるのでしょうか?少し気になったので調べてみました。

 

 

観天望気

現代の人々と同じように,古代の人々も明日の天気がどうなるのか気になっていたようです。かの有名なギリシャの哲学者アリストテレスも『気象論』という著書を残しています。

しかし当然ながら当時は気温も気圧も風速も測る術はなかったので,明日の天気がどのようになるのかは過去からの経験則によるところが大きかったそうです。

 

今でも観天望気(自然から天気の変化を予測すること)から,気象にまつわるいくつかのことわざが伝承されていますね。例えば

 ・『夕焼けの次の日は晴れ』

 ・『太陽や月に暈がかかるとその後の天気はぐずつく』

 ・『飛行機雲がなかなか消えないと雨』

 ・『ツバメが低く飛ぶと雨』

 

などなど。根拠のない伝承も中にはあるようですが,的を射たものもいくつかあるようです。

 

ちなみに,『夕焼けの次の日は晴れ』なのは,(日本など世界の多くの地域は)天気は西から東へと移動するため,日の沈む西の空が晴れていて夕焼けが見えたらその後も晴れた天気が続くだろうということらしいです。

また,『太陽や月に暈がかかるとその後の天気はぐずつく』のは,一般的に温暖前線の接近に伴って,巻雲→巻層雲→高層雲→乱層雲と雲が出現するので,巻雲によって太陽や月に暈がかかると天気は悪くなる方向に向かいます。

『飛行機雲がなかなか消えないと雨』なのは上空が湿っているため。上空が湿っているということは雲ができやすいということなので雨になることが多いんですね。

そして『ツバメが低く飛ぶと雨』という何とも眉唾な伝承ですが,こちらは結構な確率で当たるようですよ。低気圧が近づいて湿度が高くなると,ツバメの餌となる昆虫の羽が湿って高くまで飛べなくなるのが原因だそうです。

 

他にも

 ・『朝虹は雨,夕虹は晴れ』

 ・『猫が顔を洗うと雨』

 ・『東風が吹けば雨』

 ・『朝のお茶が美味しいと晴れ』←(。´・ω・)?

などがあるようですので,興味があれば調べてみると楽しいかもしれません。

 

天気予報の歴史

それまで観天望気によって経験的に天気を予測していましたが,17世紀になると気圧計や温度計が開発され,気圧・気温と天気との関係性が徐々に明らかになってきました。

19世紀になるとようやく科学的な天気予報が成立します。世界で初めて天気図を作成したのはH.W.ブランデス(Heinrich Wilhelm Brandes)という人で,下の図はブランデスの考えに基づいて作成された天気図のようです(64-3hamanaka.pdfより引用。ブランデス本人が作成したものではないっぽい)。

この図は等圧線を実線で示しており,気圧配置と天気との関係がこの図によって明らかになってきます。
1854年(日本でいうと江戸時代末期,ペリー来航の翌年)にはイギリス気象庁が発足。そこから約20年後の1875年には日本にも気象庁(の前身)が設立されました。

 

日本の天気予報

1875年6月に東京の虎ノ門に設立された東京気象台で気象観測が日本で初めて行われたのが6月1日のことだったようです。そのため6月1日は「気象記念日」になっているんですって。

1883年の3月1日には日本で初めて天気図が作成されました。その天気図は今でも現存しています。

天気図には東北地方の東側に高気圧(High)が,九州地方の西側に低気圧(Low)が書かれています。等圧線はわずかに2本のみ。
他にも「766」などという数値が記入されており,これはおそらく気圧(単位はmm水銀)を表しているものと考えられます。

そして翌年の1884年には日本初の天気予報が発表されます。これが日本における天気予報の始まりなんですね。

 

しかし戦前から戦後まで,観測したデータを電報で集めて作成した天気図をもとにして天気予報を発表していました。つまり人間の力だけで天気を予報していたんですね。

 

現在ではコンピューターが計算をして天気予報の基になる結果を作成してくれていますから,そこには大きな飛躍があるわけです。

今のコンピューターを用いた未来の大気の状態の予報(数値予報)があるのは,一人の気象学者の存在があります。

 

リチャードソンの夢

数値予報の歴史は今から100年以上前の1910年代に行った,イギリスの気象学者ルイス・フライ・リチャードソンの研究にさかのぼります。

下がリチャードソンの写真。

彼は水平方向に200km,鉛直方向に5層の格子点を設定して,天気の予測を行ったそうです。

wikipediaにはこのような話が記載されています。

リチャードソンは気象学に興味を持ち、微分方程式を離散化して数値的に解くこと(数値解析)による天気予報、すなわち現在使われている数値予報の原理を思いつき、実際にその計算を行った。大戦中に集めたデータを用いたが、当時の計算技術の制限のためにわずか6時間の予報に2ヶ月かかり、しかも数値の処理に問題があったため予報は失敗に終わった。

ルイス・フライ・リチャードソン - Wikipedia より)

 

6時間後の天気の予測を2ヶ月かかって計算したという,冷静な目で見たら本末転倒もいいところだと笑われそうな内容ですが,この考えが今でも活用されているのですから,実験的でありながらも先見の明のあった偉大なる先人のようです。

彼はこの失敗を受けて,自著の中で『64,000人の計算者を巨大なホールに集めて指揮者の元で整然と計算を行えば実際の天候の変化と同じくらいの速さで予報が行える』と述べており,(当時としては)壮大なこの構想はリチャードソンの夢と呼ばれます。

 

現在では高性能な計算機(スーパーコンピューターなど)で膨大な計算を短時間で解くことが可能となり,リチャードソンの夢は夢でなく現実のものとなっているのですね。

 

 

【まとめ】学習の要点

ということで,今回の学習内容を簡潔にメモしておきます。

自分的メモ!
  • 天気予報の歴史は古い。
  • 観天望気のことわざは楽しい。
  • 天気予報の中核をなすのが数値予報。数値予報とは計算によって予報値をはじき出すこと。

 

参考図書・参考URL

下記のサイトから画像などを一部お借りいたしました。